だーくいりゅーじょふのblog

だーくいりゅーじょふ所属の元祖小池屋のブログになります。

小池屋のゲーセンライフ ♯4

(あの人、いつも見るよな…)

ゲームセンターに足しげく通っていると自ずといつも来る人の顔を覚えることはよくある。
直接声を掛けることはないけれど、お互いは認識してる…そんな距離感。
ゲームセンターによっては誰でも書けるコミュニケーションノートというものがあり、そこに思い思いのネタを書いて交流を深めたり、イラストを描いたりしたものだ。
そこから声を掛けたり、掛けられたりで交流が深まるというのはいつの世も変わらない。
そのキッカケを掴むまでがなかなか苦労するもので、1歩を踏み出せず「あの人また来てるな」のままで終わることはよくあること。
自身がゲームセンターでの交流がきっかけでイラストを描くようになり、同人誌即売会
出席したり、即売会の主催側に回ったり、音楽イベントを主催することになる訳だが、
それはもうちょっと先のお話。

自身がいつも見るよな…という事を意識しだしたのはとあるボウリング場にあった
メタルスラッグ2で、当時から私はKOHというスコアネームを使っていた。
トライアンドエラーを繰り返し、少しずつ先へ進めるようになる毎日。
自ずとハイスコアランキングは自分のKOHで埋まるのだが、そこにBEEという
別の名前がちょいちょい挟まるようになった。
「合言葉はBEE!」という当時放送されていたツインビーPARADISEから来ているのだろうと当時から思っていた。自分もBEEメイツツインビーPARADISEのリスナーだったので。

KOHとBEEで埋まるスコアランキング、追い抜いては追い越されを繰り返していた。

そんなある日、プレーに向かうと先客がいた。
後ろからプレーを覗き込むと2面で魔人のランプのコインを取りに行っていたので、
明らかに「やっている」動きだった。

まさかこの人がBEEか…?と5面で終わるまで見ていた。
そしてネームエントリー、BEEで確定した。
当時の私は学生で恥ずかしさからか声を掛けることはできなかった。

その後歳を取ってからゲームセンターで知り合う機会が増える度にあの時
「あの…私KOHなんですけど」
と声を掛けてたらこの話のボリュームが1.5倍になったよなあと今も後悔している。

小池屋のゲーセンライフ ♯3

「カプコサーカスに行かね?」

という提案に私はビックリした。当時は携帯電話すらなく、道路標識だけが頼りで地図も持ってない。隣町水原町に来てはいるが、ここからどう行けば辿り着くのか当時の私は想像も付かなかった。
友人が言うには国道を真っすぐに行けば着く、と言う事で自転車で向かう事にした。
幸いにも友人の1人が道をはっきりと覚えていたので2時間くらい自転車を漕いだのだろうか、奇跡的に到着する事ができた。
そこで何を遊んだのかはこの後の出来事のせいか正直覚えていない。

程よく遊んだ頃合いでそろそろ帰るか、と3人で店を出て自転車のところに向かうと自分以外の自転車がなくなっていた。
その状況を目の当たりにして3人はあたふたする。

-恐らく2台盗難に遭った
-3台とも鍵をかけていなかったと思う

-私の自転車には〇〇中というシールがあったので免れたのではないか
-どうやって帰るよ
-俺らは公衆電話使って親に電話するしかないか…
-小池屋は元通った道を帰ってくれ

こんな感じだったと記憶しているが、今考えてもとんでもない話だと思う。
この後移動、休憩を繰り返し夜の7時頃に旧新津のベルシティ新津辺りでギブアップ、観念して親に電話、迎えを呼ぶ事にした。
来た道と違う、というのについては恐らく交通標識を頼りに新潟→新津と帰ろうと
していたのではないか、と思う。
当時は帰るのに必死でどういう道で帰ったのかすらあやふやだったし…

親に事の顛末を説明、その時点で怒っているのは伝わってきた。
親が到着、バンに自転車を乗せて帰り道は怒号の連続だったと思うが疲労で全く記憶にない。一緒に向かったメンバーとは19歳頃まで遊んでたのでここで絶縁とはならなかった。

そんなゲーセンに対する情熱・執念が今になってもゲーセンに行くエネルギーになってるのかも知れない。

元祖小池屋のゲーセンライフ ♯02 カプコサーカス

「悪い、タイヤがパンクした」

カプコサーカスに行こう、と誘ったSの父から出た言葉である。
車内で私と友人2人はズッコけた。
その日は行くことは諦めて友人宅で遊ぶ事になり一週間後、改めてカプコサーカスに向かう事になった。

友人Sの家はゲーム好きの兄弟で長男が社会人でお金があり、ゲーメストを週刊で買っていた。中学の頃の自分にしてみればゲーメストは大変高価でSの家に行ったときは熟読したものである。1回目のお流れの時も家で熟読した。
Sの家はマニアックな漫画が多く、シャドウスキルとか色々と読ませて頂いた。
彼の兄はPC98も所持しており、そこで出会ったディスクステーションからまた私の運命が変わっていくのだが…それはまた別のお話。

日を改めてカプコサーカスに連れて行って貰った訳だが、そこの光景は衝撃的だった。

見たことのない大型モニタが付いた筐体のビデオゲームネオジオ以外のゲーム、体感ゲームと大はしゃぎだったのを覚えている。
ゲーメストで存在しか見た事がなかったゲームがそこで動いているのは「やっと会えた」と思いながらワクワクした時間を過ごした。

衝撃だったのがタイトーがリリースしたダライアス外伝で画面の美しさ、シューティングらしからぬ音楽が流れて当時の自分には未知の衝撃が来たのを覚えている。
その流れはゲーメストが出していた攻略本、ゲーメストムックのダライアス外伝を購入、セガサターンを購入した際にバーチャファイターそっちのけでダライアス外伝を購入した辺りが自身どんだけのめり込んでいたのか良く分かる。
ダライアス外伝は敵のホーミングレーザーの挙動に慣れる事ができず、今でも遊ぶ時は
深海エンドでクリアするだけのライトユーザーではあるが。

またSの家にあるゲーメストで読んだ中でプレーしたかったナムコがリリースしたアウトフォクシーズは良く遊んだ。〇し屋同士が「手段を問わず敵を倒す」対戦アクションゲーム、人間大砲、ラスボスはヘリで潰されるなどギミックだらけで動かしているだけで楽しいゲームだった。
移植されても良い出来ではあるが、〇し合い、登場キャラに幼い双子がいる世界観なので現代では色々と困難なんだろうなと諦めてはいる。

 

アウトフォクシーズについては後々また登場しますが、それもまた別のお話。

流れとしては昼頃に遊びに行って夕方頃に帰る。
中々おいそれといく事は難しい立地にあり、Sの親の都合もありおいそれと行く事は難しい。
週末の午前中に私と友人3人で隣町に自転車で遊びに行った時にSが提案した。
「これからカプコサーカスにいかね?」

元祖小池屋のゲーセンライフ ♯01 おもちゃのH

「死ぬぞ」

自分の意思で行った初めてお金を払ってゲームで遊ぶコーナーがあるおもちゃのH。
私がコラムスで遊んでいた時にそこに居たやんちゃなお兄さん達に言われた言葉である。当時はその後何となく居心地が悪かったのでその1ゲームで店を後にしたが、今考えるとゲームオーバーになるまでプレーしたのは良い度胸だったのではないだろうか。
今ゲームセンターにいる層を見ると想像が難しいかも知れないが、当時はツータックの学ランを履くヤンチャな人がいる末期でチーマーに移行していた時期であった。
(当時の不良を描いた有名所の漫画がBEBOP、ろくでなしブルース、カメレオンと続く時期である)
私がそのゲームコーナーに通い始める中学生の頃には既にMVSが稼働していた。
MVSとはMluti Video System の略称でSNKが開発したゲームセンターの筐体システムだ。
これはファミコンと同じようにゲームのプログラムが入っているカセットと動かす本体を分けて製造し、カセットを入れ替えるだけでゲームを入れ替える事ができるシステム。
当時の時点でカプコンは似たようなシステムを稼働させていたが、MVSの利点は複数のカセットをセットする事ができてユーザがゲームを自分で切り替えて遊ぶことができた点だ。メンテナンス・入れ替えの楽さと同時稼働システムが受けたのか、当時はスーパーやおもちゃ屋・本屋など色々なゲームセンターではない場所で動いているのを見た。

その時にS、Cと2人の学校で部活動が同じ、ゲーム好きの友人と知り合い、新しいゲームが稼働したり、週末になると良くそこに遊びに行った。
当時は格闘ゲームブーム真っ最中で、巷はカプコン派かSNK派か、で分かれていたが私はSNK派だった。理由はその2人がどっちもSNK好きだったのと、そこがMVSを4つのソフトが入れ替えられるのを4台置いていた事だ。
16のソフトが入っている環境でよりどりみどり。当時の家庭用ゲーム機はスーパーファミコンの末期からセガサターンプレイステーションに移行する頃で家庭用に移植された格闘ゲームの出来を見てからMVSに戻ると中々戻れなくなる。
KOF94、95、餓狼伝説3とCPU戦を友人や、ゲーム好きの地元の高校生と回す週末を過ごしていた。当時何とも思わなかったが気が付いたら最初のやんちゃな人達は来なくなっていた。

そんな日々を送っている中、Sから誘いの言葉があった。
「カプコサーカスに行かないか?」
聞いたことのない場所だった。

元祖小池屋のゲーセンライフ ♯00 プロローグ

「予選スタートです!」
この音声が私の一番幼い頃に聴いたゲーム音声だ。
物心がつくかつかないかの頃に母に連れていかれた場所で遊んだのをうっすらと覚えている。
ポールポジションというレースゲームで、プレイステーションアーカイブスが発売されてプレーした際にその当時の記憶が繋がった。
それから小学生、中学生、高校生、専門学校生、社会人と私の近くには常にビデオゲームはあり続けた。中学生の頃から学校から「行ってはいけません」と釘を刺されたゲームセンターにも足を運んだ。もっとも子供の頃は自分が住んでいる場所が田舎なのでおもちゃ屋にあるビデオゲームコーナーで遊ぶことが大概だったが。

初めて行ったカプコサーカスの大きさ、人の多さ、対戦の熱さを感じたものだ。

時は流れてゲームセンターは流行り病や電気代高騰で一気に苦境に立たされ、閉店の一途を辿っている。平成中期~後期から新札と新硬貨による両替機の買い替え、消費税の税率アップ、ネット対戦によるメーカーへの支払い、電子マネーによる手数料と苦難続きで閉店は多少はあったがここ2、3年の閉店は明らかに多い。
今年の5月末に自分が今時点で通っているゲームセンター、スターフィールドが閉店することになった。自身がゲームセンターに通い始めたのは社会人になってからだが、
プレイタウンラッキー、POPY、笹口チャンスと新潟県で通ったゲームセンターで閉店する店舗はスターフィールドで4店舗めになる。
そんな訳で自身が通った場所の備忘録、というかエッセイみたいな形で残していこうと思いキーボードを打ち始めている。

思い出してみると割とぶっ飛んだエピソードがあるのでその辺を盛り込んでいければいいかな、と考える次第です。
割とあるんですよ。友人3人で自転車でゲーセンに行ったら帰る時に自転車が自分の1台しか残っていなかった、とか。

掲載間隔が開く事があるかもしれませんが温かい目で見守って頂ければ幸いでございます。

C94インフォメーション。

明後日行われますコミックマーケット94に
サークル参加します。

財前時子様本 28P 400円が今回の新刊と
なっております。

これ以外に過去に出した脇山珠美の本を
持って行きます。

それでは、ヨ-28a「だーくいりゅーじょふ」にて
お待ちしています!