だーくいりゅーじょふのblog

だーくいりゅーじょふ所属の元祖小池屋のブログになります。

元祖小池屋のゲーセンライフ ♯01 おもちゃのH

「死ぬぞ」

自分の意思で行った初めてお金を払ってゲームで遊ぶコーナーがあるおもちゃのH。
私がコラムスで遊んでいた時にそこに居たやんちゃなお兄さん達に言われた言葉である。当時はその後何となく居心地が悪かったのでその1ゲームで店を後にしたが、今考えるとゲームオーバーになるまでプレーしたのは良い度胸だったのではないだろうか。
今ゲームセンターにいる層を見ると想像が難しいかも知れないが、当時はツータックの学ランを履くヤンチャな人がいる末期でチーマーに移行していた時期であった。
(当時の不良を描いた有名所の漫画がBEBOP、ろくでなしブルース、カメレオンと続く時期である)
私がそのゲームコーナーに通い始める中学生の頃には既にMVSが稼働していた。
MVSとはMluti Video System の略称でSNKが開発したゲームセンターの筐体システムだ。
これはファミコンと同じようにゲームのプログラムが入っているカセットと動かす本体を分けて製造し、カセットを入れ替えるだけでゲームを入れ替える事ができるシステム。
当時の時点でカプコンは似たようなシステムを稼働させていたが、MVSの利点は複数のカセットをセットする事ができてユーザがゲームを自分で切り替えて遊ぶことができた点だ。メンテナンス・入れ替えの楽さと同時稼働システムが受けたのか、当時はスーパーやおもちゃ屋・本屋など色々なゲームセンターではない場所で動いているのを見た。

その時にS、Cと2人の学校で部活動が同じ、ゲーム好きの友人と知り合い、新しいゲームが稼働したり、週末になると良くそこに遊びに行った。
当時は格闘ゲームブーム真っ最中で、巷はカプコン派かSNK派か、で分かれていたが私はSNK派だった。理由はその2人がどっちもSNK好きだったのと、そこがMVSを4つのソフトが入れ替えられるのを4台置いていた事だ。
16のソフトが入っている環境でよりどりみどり。当時の家庭用ゲーム機はスーパーファミコンの末期からセガサターンプレイステーションに移行する頃で家庭用に移植された格闘ゲームの出来を見てからMVSに戻ると中々戻れなくなる。
KOF94、95、餓狼伝説3とCPU戦を友人や、ゲーム好きの地元の高校生と回す週末を過ごしていた。当時何とも思わなかったが気が付いたら最初のやんちゃな人達は来なくなっていた。

そんな日々を送っている中、Sから誘いの言葉があった。
「カプコサーカスに行かないか?」
聞いたことのない場所だった。